1961年9月25日
日本国三重県亀山市に、岡田昌として生まれる。
1979年〜1984年頃
10代後半より東京にて映画製作を始める。20歳の頃、舞踏と出会う。
20代半ばより反原発運動、民族問題、環境問題、先住民文化など様々なムーブメントに深くかかわる。
1987年10月10日
米田香(現・桂織)と結婚。
1990年
ネイティブ・アメリカン運動リーダーのデニス・バンクス氏の提唱するセイクレッドランに参加。激動のヨーロッパをネイティブ・アメリカンランナーやヨーロピアンランナーたちとロンドン〜モスクワまでの約10,000qを走り抜ける。
1992年2月13日
長男、瑞生誕生。
1992年
地域の寺子屋、「亀山雑学大学」を開校。様々なゲストを招き、心と体について学び合う場を作る。
1996年
食とアート、そして人と人を繋げる場所、「月の庭」を始める。
たくさんのミュージシャン、舞踏家、社会活動家などあらゆるジャンルを超えた人の集う場所として、今も活発に活動中。
2002年
ネイティブ・アメリカン、ラコタ族、詩人のトム・ラブランク、HEATWAVEの山口洋、細海魚の三人でアルバム、「イーグル・トーク」を企画、スーパーバイザーとして深く制作に関わる。
2003年
反戦デモ「PEACE PARK」を主催。同年5月、愛知の音楽&環境のグループである環音と共に独立1周年の東ティモール行きをオーガナイズ、自らもティモールの民とスピリチュアルな踊りの交歓をする。政府主催の独立1周年記念コンサートで5万人の前で踊る。また8年前より、舞踏家であり、天然肉体詩人と名乗る、藤條虫丸氏のワークショップを主催、自らもワークショップに参加する。
2004年10月
身体に変調をきたす。検査結果は膀胱ガン。医師には即入院、即手術を薦められる。また放置した場合、早くて1年、よく持って2年の余命宣告を受ける。しかし、自身はもう一つの方向としての代替医療、手術をせずに民間医療で治していくことを決意。まずは、からだとこころに向き合うことから始める。
2005年5月
天然肉体詩人、藤條虫丸氏に舞踏公演への出演を依頼される。5月11日〜15日に、名古屋大須、七つ寺共同スタジオにて五日間の公演すべてに参加。舞踏家として、43歳のデビューを果たす。以後、精力的に舞踏活動を展開。素晴らしい出会いと共に、様々な場所、また様々なミュージシャン、DJたちとのコラボレーションも多数。
2006年8月
初の海外公演に出る。韓国で2つのフェスティバルに出演、7日間で9ステージを踊りきり大好評を得る。
2007年2月
名古屋鶴舞高架下にあるKDハポンでの即興舞踏に始まり、リップサービスライブへのゲスト出演、沖縄・辺野古でのピースコンサート「Peace Music Festa! 辺野古 '07」 のソウル・フラワー・ユニオンのライブで踊るなど、精力的に活動する。
2007年3月
神戸ビッグアップルで行われた、1年ぶり、2度目となる舞踏と音の即興ライブ「打舞U」に出演。前回コラボレーションした堀越大二郎(ジュンベほか)にソウル・フラワー・モノノケ・サミットでも活躍する樋野展子(サックス)が新たに加わり、さらにスリリングで奥深いセッションを披露。さらに、本拠地・月の庭で、チェロの坂本弘道との即興バトルも繰り広げる。
2007年4月
フランスから初来日した、ヨーロッパ即興音楽シーンの若手注目株、フレデリック・ブロンディ(ピアノ)、即興ギターで世界でも高い評価を受ける臼井康浩と、名古屋今池の得三で共演。
2007年5月
名古屋新栄の劇団PH7地下劇場「密室ダンスシアターV 舞踏三昧」に加え、六本木スーパーデラックスでは、かわなかのぶひろによる映像とあがた森魚の歌など、音楽やダンス、光線が交錯するミクストパフォーマンス「暗闇にノーチラス 〜歌+音+光+動き+映像〜」 に出演。両氏に加え、坂本弘道(チェロ)、平松加奈(バイオリン)、OTO(ギター)ら、素晴らしいアーティストとのコラボレーションで、心と体が溶け合ったパフォーマンスを披露。
2007年6月
下北沢のぐで、驚異のボイスパフォーマー・中ムラサトコと牧徳太郎(スリーピー)とともに、美術家・溝渕ゆう子の作品の中で繰り広げられる、めくるめく、超個性、解放される感覚の饗宴「つらなる感覚」に出演。アメリカを拠点に活動する舞踏カンパニー「P.A.N.」の3度目の来日ツアーに平松麻衣とともにゲスト出演。東京・三重・名古屋と、各地を回り、精力的に踊りまくる。
2007年7月
出血、血餅による尿のつまりで1年8か月ぶりに病院へ行き、緊急措置。そうした中、踊りに対する情熱はさらに強まり、下北沢・ネバーランドをはじめとする東京での3日間公演、月の庭での1日公演と、4日連続の踊り三昧を過ごす。
2007年8月
1年ぶりとなる韓国公演。怒涛の1週間の中、4公演を行い、韓国の熱きスピリッツに触れる。思いっきり燃焼した踊りに、言葉を超えた人間としての共感の波動が会場内に充満する。
2007年9月
医師に告げられた余命期日から1年が過ぎる。
2007年10月
再び、韓国に。この来訪でも、多くの出会いがあり、韓国のスピリッツを心と体に刻む。さらに、現在、日本のロックシーンの中でも最重要なバンドHEAT WAVEのフロントマンで、作詞・作曲も手がける山口洋と共演するも、3日後の31日、病状の悪化により、緊急入院。歌舞伎昌三としてのパフォーマンスは、いったん活動休止に。
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デビューから一貫してその踊りのテーマには生と死がある。細胞レベルで、刻一刻、展開される生と死のダイナミックなそして静寂な時間。精神と肉体が織りなす一瞬一瞬の動き。光と影。舞踏は静かに緩やかに進化の円環の中で突っ立っている。
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